転職が人生を変えた
2020.04.06
入社8年目を迎えて
経営戦略研究所株式会社に入社して8年目を迎えている。
8年前は人生の転機となる出来事があった。
私の父親は職人のため、日給月給。
仕事があれば収入はあるが、仕事がなければ収入ゼロで何もすることがない。
家の中では頑固で強い父親だが、家の外では低姿勢でペコペコと頭を下げて仕事をとってきていることを私は知っているので仕方がないことだと感じていた。ただ実際にはどれぐらい稼いでいるかは知らなかった。
母親は生活費の心配をしてこの当時は朝9時には出勤をして夜中の1時くらいまで働いていることもあった。
そんなある日、母親から急にメールが送られてきた。
「倒れて入院しています。」とのことだった。
当時大阪に住んでいた私が千葉の病院に駆けつけるとベットに横たわっている母親がいた。
「働きすぎて倒れちゃった。」とのことだった。
看護師さんに話を聞くと吐血をした状態で倒れ、胃の中がストレスと過労でさんざん荒れてしまったようだった。
窓の遠くを見ながら「今後どうしようかね。」とつぶやく母親を見て今まで自分の行動を後悔した。
母親を見て最初に思った感情が、「何してんだ、俺は…」。
これだけだった。
大阪で一人暮らし
その頃の自分は大阪で自由勝手に暮らしていた。
当時32歳であったのにも関わらず、家にお金すら入れず自分の生活を豊かにすることばかりを考えて過ごしていた。大学院に投資をして、車を買って、良い服を買って、旅行に行って、ほとんど貯金すらない状態だった。
両親を支えるための手段なんて何一つ持っていなかったし、考えたこともなかった。唯一行っていた毎年両親に旅行をプレゼントしていたことが自分の自慢でしかなかった。ただそれですら旅行先では両親はお金を使うし、自己満足でしかなかったのかもしれない。
しっかりと両親を養うことが出来て、自分の経験が活かせ、社会的価値が本当にある仕事を探した。
この3つの条件が揃う仕事は正直少なかった。どの仕事を見ても怪しい仕事ばかり。
本当に価値があるのか見極めきれないような仕事達が顔を揃えている。
歯科医院専門のコンサルティング会社
「経営戦略研究所株式会社」
その時に出会ったのが経営戦略研究所株式会社。
当時のホームページはこれまた怪しかった。求人の内容も今では考えられないぐらいブラックな感じ。
でもやるからにはここまで行かないといけないんだろうなと覚悟もした。
百聞は一見に如かず、ということで話を聞きに行くことにした。
そこには意外と爽やかな代表の岩渕が待っていた。恐ろしい閻魔みたいな人かなと思っていたので安堵したのを覚えている。二度の面接を経て、内定をいただくことになった。
面接に関しても人生がかかっているのでその分の準備もしっかりとした。
こういう勝負どころでどれだけ時間と労力をかけられるかが人生を変えてくると思う。
迷いに迷った10ヶ月
内定から10ヶ月の時を経て、入社した。
10ヶ月の間、色々な葛藤があった。
最後まで育てていただいた先輩からの引き止め、これは本当にきつかった。
心から敬愛している先輩だったので申し訳ないという気持ちが心の中を支配した。
先輩からのひとつひとつのアドバイスはどれも正しく、心に刺さった。
何度も自分自身の判断は正しいのか、自問自答を繰り返した。
それでも自分の可能性を信じて決断するしかないと考えた。
選択をする中で訳が分からず不安や孤独から泣いた時もあったし、
迷いすぎて自暴自棄になりそうな時もあった。
その中でも「転職」という最終結論に至ったのは、家族を守れるのは自分しかいないという事実だった。
入社してがむしゃらに勉強をしたし、働いた。
全ての時間を「仕事」「勉強」に打ち込んでいた。
この時は大学院も通っていたので常に時間は目一杯使っていた。
振り返ってみるとこの時期のことはあまり覚えていない。
仕事に無我夢中になることで自分が選んだ行動を正当化しようともしていたんだろう。
誘われる飲み会はほとんど断ってとにかく知識、経験を身につけた。
社長の行動力
仕事を進めていく中で何度も社長と会話を重ねた。
今うちの会社がすべきこと
もっとこうしたら良くなるのではないか、ということ
今後集めたいメンバーについて
など。
私もその頃仕事に真摯に向き合っていたこともあり、社長に対しても臆することなく色々な提案をしてみた。
会話をする中で驚いたのが、改善提案したことをほとんど社長が実践してくれたことだった。
さすが一流のコンサルタントなんだなと感じた。
提案することは一流ではあることは知っていたが、聞くことも一流なのかと。
実践するスピードは言うまでもなく早い。
次から次へと施策を展開していく。
「すごいな」と感心しているのと共に自分が改善提案したことが活かされていくことによって、自分が会社に貢献できているやりがいも感じるようになった。
そこから自分のスタンスはかなり変わったと思う。
仕事に関しても、学んで教えてもらう立場から色々挑戦して行動する側になった。
周りの人からすると最初の謙虚な印象はなくなってしまったかもしれない(笑)
割と強引にグイグイ進めているタイプに見えてるのかなとも思う。
ただそれはステージが変わって、役割が異なっただけ。
役割が変われば魅せ方は変わってくる。
努力から成長ステージに
そこから全国にクライアントが出来、セミナー講師を担当させていただき、
多くの先生からのコンサルティング指名が入るようになった。
全く知らない先生からも「評判を聞いているので来てほしい」と頼まれ、
現状はコンサルティングはキャンセル待ちの状態が続いている。
仕事の内容は弊社の売上を追わないコンサルティングスタイルはとても気に入っている。
どこの会社でも同様であると思うが、売上を追うことが会社としての命題だ。
「売上追求型」になっていない会社は本当に珍しい。
他の会社でそのような部署が存在していたとしてもそれは一部であり、会社全体が売上を追っていないことはない。
弊社は週4日勤務のコンサルタントが3名もいたり、会社全体の売上の話は一切出てこない。
会話の内容の主なところは担当しているクライアントの歯科医院がどう良くなっているかだけである。
最初は売上の話をしないことに逆に戸惑ったぐらいである。
これほどまでにクライアントのことを考えている企業は日本どこを探しても経営戦略研究所だけなんだろうといつも考えている。
だからこそ私達は仕事にコミットできるし、余計な売上管理はまったくない。
ただ医院の医業収入をあげるサポートをすればいい。
これはコンサルタントとしての使命なのでやって当然のことである。
クライアントの考え方
このような会社だから私はクライアントを大切にしているし、
一緒に旅行に行ったり、遊びにいったりもする。
クライアントという領域を超えて、家族である。そもそも仕事上のお付き合いとは違う。
なので、クライアントから「もう大丈夫です。」と言われるまで全力でフォローをすることを決めている。
最終的には私達のところを離れて独力で経営していただいても良いと考えているし、
一緒に未来永劫付き合っていくのもよいと思っている。
「売上」を通じた付き合いではなく、「関係性」を前提とした付き合いなので。
数年が経ち、経験・知識と共に収入も上がり、今では両親を楽させてあげられるぐらいの状態にはある。
この会社がなければまだ人生に迷っていたかもしれない、
もしくは大切である親に対して負担であると思っていたかもしれない。
それが今は違う。
少しでも長く一緒にいる時間を増やしたいと考えている。
今は年1回どころか年に2~3回旅行をプレゼントしている。
お金を渡したとしても結局貯金をしたり、何も使わなかったりするので動けるうちにたくさんの経験をしてもらいたいと考えている。もちろんお小遣い付きにしている(笑)。
今では毎年年末に「あの宿は良かったな~」「あれは美味しかった~」などの年間旅行報告をくれる。
真価が問われる一般企業
今日は2020年4月6日。
新型コロナウィルスが蔓延し、明日にも緊急事態宣言が出されようとしている。
私達はリモートでコンサルティングをしていく流れになっているが、
仕事自体は何も変わらない。
一方で大企業で仕事をしている友人は大変なことになっている。
契約を打ち切られるかもしれない…
いつから働けるのかわからない…
何もできない…
など。
有事のときこそ、会社の価値が試される時だろう。
「自分の名前で働ける、だけど最高の仲間と一緒に戦い続ける」
私は独立なんて考えていない。
欲だけ考えたら独立した方が良いかもしれないけど、ドリームチームのような会社で働いている方がよっぽど良い。
何のために働くのか、誰と働くかが重要。
好きなことだけやりたいわけではない。好きなことも嫌いなこともやりながら成長をしていく。
その過程を経て、自分の方向性が明確になってくるんだと思う。
転職を考えている人は何のために仕事を探しているかもう一度考えてみると良いと思います。
萩原 直樹
前職の大手求人広告会社在籍中は営業としてグループMVP、チーフとして全社MVPを受賞。18ヶ月連続売上・新規数字目標達成記録を持つ。その後、採用コンサルティング会社に6年間、勤務。大手小売業を担当、組織の仕組化を提案。営業で鍛えた行動力と採用コンサルで鍛えた論理的思考力で成果を出している。