なぜなら、誰もが初めての継承だから
医院継承は新規開業より難しい。
それが歯科医院専門経営コンサルタントとして21年間、コンサルしてきた私の実感です。
新規開業の場合、何も制約がありません。
最も良いと思う場所で、最も良いと思う設計で、最も良いと思う人を採用し、最も良いと思う機材を購入し、最も良いと思う診療スタイルを実現することができるのです。
しかし、親から医院を継承する場合、たくさんの制約があります。
親の医院がある場所で、昔からある歯科医院で、昔からいるスタッフで、昔から使ってる機材で、昔ながらの診療スタイルで、医院をやっていかなければいけないのです。
重要な要素のほとんどが継承する息子の思うようにはできないことがほとんどです。
それでも、まだ親の医院が1日患者数35人以上来ている医院であれば良いのです。
地域の中で一定の評価をされてるわけですから。
しかし、親の医院が1日患者数10人前後であれば、かなり厳しい状態からのスタートとなります。
親の医院は親の体力・気力の衰えとともに右肩下がりの歯科医院になってるわけです。
地域の中での親の医院の評価は「昔からある歯科医院、おじいちゃん先生、昔ながらの治療」というマイナスイメージが固定化してしまってる可能性が高いのです。
そのマイナスイメージを払拭するのは相当に難しいことです。
つまり、マイナスからのスタートを余儀なくされる可能性が高いのが親子継承なのです。
しかし、継承の最大のメリットがあります。
それは「お金をかけずに院長になれる」ということです。
多くの場合、1日患者数は右肩下がりでも、借金は終わってます。
ですから、機材もスタッフも、最低限の患者さんもお金や労力をかけずに手に入るのです。
親が趣味程度にやっていた医院だから、オレが本気でやれば、すぐに1日40人は来るだろうと思っているのだと思いますが、ハッキリ言って甘いです。
今の歯科医院経営はそんなに甘くありません。
そういう甘い考えでやっていると、1日患者数20人前後の医院で生活していく分には困らないだけの収入を得て、くすぶりながら終わってしまう可能性が高いです。そういう先生が目立ないですけど、たくさん見てきました。
継承においては、継承する息子がいかに経営者としての力量をつけるかが大事なのです。
右肩下がりの、1日患者数10人前後の医院を再生させるには治療の技術だけでなく、患者さんを集める力が必要とされるのです。
これまで治療ばっかりやって、自分の患者さんからの新患紹介ありが1ヶ月で10人以下だったような先生は自分が継承したとしても、それぐらいしか新患紹介ありを得られないのです。
じゃあ、新患紹介なしの患者さんをどうやって獲得するのか、今までそういうことをやったことがあるのかというと、全くの未経験で、なかなか集められず、何をやって良いかも分からず、くすぶってしまうのです。
右肩下がりの歯科医院をそこから∨字回復させるということは、例えるなら、溺れてる人を助けるようなものです。一般人が溺れてる人を助けようとすると、一緒の溺れて死んでしまいます。溺れてる人を助けることができるのは唯一、海難救助隊などの訓練を積んだ人だけです。
つまり、右肩下がりの歯科医院を∨字回復させることができるだけの経営的な訓練を積んでから継承するか、それだけの訓練を積んだ人と一緒に∨字回復させるかを考えることが大事なのではないでしょうか。
それと、継承に際し、絶対にやってはいけないことがあります。
それは・・・
継承前に親が医院をリニューアルしてしまうことです。
親の気持ちもわかります。
「このまま老朽化した医院だと、息子も戻ってきてくれないかもしれない。でも、医院をキレイにすれば戻ってきてくれるかもしれないから」
と思って、やってしまうんだと思います。
別に、そのお金を借入せずに、すべて親のお金で出せるのであれば、まだ良いのですが、そうでないなら、単純に戻ってきた息子に借金を押し付けるだけの結果になりかねません。
しかも、親の医院のある場所が30年前はいい場所だったけど、地域の再開発や駅前が寂れてしまったことで良くない立地になってしまっていたということもあるのです。
そのような立地特性が年月の経過によって変わってしまってる場合には、そのリニューアル費用がほぼ無駄になってしまい、単純に息子に借金を背負わせてしまうだけになりかねないのです。
また、親のセンスでリニューアルしても、イマイチなモノにしかならないことがほとんどです。
更に、医院の内装だけ変えても、外観がいまいちだったり、視認性が悪いのであれば、来た患者さんにしか内装の変化はわからないので、全く患者さんが増えることにつながらないことも多々あります。
そのような医院の改装は息子が帰ってきてから、息子に全面的に任せてやったほうが成功確率が高まります。
次に、継承に際し、かなり気をつけないといけないことがあります。
それは医院の移転です。
親の医院は立地特性が年月の経過で変わってしまい、あまり良い立地ではなくなっていたり、医院の老朽化によって、もう医院を移転したほうが良いんじゃないかとなります。
確かに、継承において最も有効なのは移転だと思います。
しかし、この移転の物件が親の医院の近く、できれば半径1.5キロ圏内、最大でも3キロ圏内でなければいけないという制約があるのです。
そうなると、かなり物件が限られ、良い場所に移転するのがかなり難しくなるのです。
親がある程度、地域の中で顔が利き、太いパイプを持っているのであれば、良い物件情報を入手して良い物件に移転することも可能ですが、そうでないと、妥協した中途半端な場所に移転することが多いので気をつけないといけません。
そして、この医院の改装と移転のタイミングが最も医院を激的に変えるチャンスなのです。
そして、おそらく、このタイミングで院長も交代するでしょうから、医院のハード面だけでなく、診療システム、カウンセリングシステム、取組内容などのソフト面も全面的に変える最大のチャンスなのです。
このチャンスを自己流、なんとなく、思いつきで息子が無駄にしてしまい、せっかく5千万も使って医院を改装して機材も新しくしたけど、あまりうまく行ってないからどうしたらいいか?
という相談があるんですが、このタイミングでは遅いのです。
そうなる前に、相談してほしいのです。
そして、実は、移転の前から、ソフト面でできることはたくさんあるのです。
せっかく、何千万もかけて医院を改装・移転するのですから、それまでに医院をある程度、成長軌道に乗せておいて、そこから一気に改装・移転で∨字回復を完成させるのです。
そのためには、移転前から、プロジェクトチームの導入、カウンセリングシステムの導入、リコールシステムの導入、HPコンテンツ作成、SEO対策などなど、改装・移転前からできることをどんどん実践していくのです。
しかし、このような実践を進めていくことが難しいのです。
親子の意見が合わなかったり、息子も親から言われてもハッキリと答えられないことが多かったりして、「今までのやり方でも問題はなかったんだから、それで良いじゃないか」と親から言われて、そのままになってしまうのです。
特に、親の代からのスタッフによる現状維持圧力は凄まじく、現状のやり方をとにかく変えたくない、新しいことはやりたくないという意識が強いです。
そんな中で、たった1人で、これまで医院を経営した経験も、患者数を増やすための取組も、自費率を上げるための取組もやったことがない息子が抵抗勢力の親、昔からのスタッフを変えていくことができるかというと、難しいのが現実なのです。
このように、医院継承で悩んでいる、困っている先生は医院継承コンサルティングを検討されてみてはいかがでしょうか。
医院継承コンサルティングとは言ってますが、基本的には通常の歯科医院へのコンサルティングとやることは同じです。違いはいかに親にも、取り組みの重要性を理解してもらい、お金を使うべきところには使ってもらい、スタッフを巻き込んでいけるのかというところです。
歯科医院地域一番実践会の経営コンサルティングで成果が出る7つの秘密
本当は他のコンサルタントに知られると真似されるので知られたくないのですが、特別に7つの秘密を公開します。
弊社のコンサルティングの特徴は「机上の空論に終わらないコンサルティング」です。
具体的には以下の7つのことを徹底的に実践しているので、机上の空論で終わらないコンサルティングが可能なのです。
どうして、これで成果を出すことができると言えるのか?それは、私、岩渕がこれまで21年間に渡り、この机上の空論で終わらない歯科医院で成果の出るコンサルティングを開発するまでに想像を絶する苦闘を積み重ね、そして、その結果として数々の医院をダントツ地域一番医院へと導いてきたからです。
特徴1.ほぼ毎回、スタッフ全員と面談します
歯科医院の大きな特徴の1つは「実行するのはほぼ全てスタッフである」ということです。医院の中で新たに取り組むことのほとんどはスタッフが実行してくれなければ何の意味もありません。
しかし、多くの歯科医院では院長とスタッフとの関係が壊れてしまっています。
この状態では何をやっても、どんなに良い手法を取り入れたとしても成果が出ません。
あなたの医院でも経験がないでしょうか?
新しいことをやろうとしたらスタッフから反対され、やれなかったことが。
そして、無理やり、やらせたら知らないうちにやらなくなっていた。
ひどいスタッフは勝手に予約を切ったりしますし、急患の患者さんを入れないように受付にプレッシャーをかけたりします。
このような状態で何をやっても何も変わりません。
ですので、状況を打開するために先ずはスタッフの方、全員に話をじっくりと聞いて、スタッフの視点から見た医院の現状と問題点を教えてもらいます。
そして、それはコンサルティングを開始して既に10年以上、経過してる医院でも継続しているのです。それは医院が良くなろうとすればするほどスタッフにも負担がかかり、問題が発生するからです。
そのことに院長はなかなか気付けないので、私のようなコンサルタントがスタッフの声を拾い上げることが医院のバランスを取るためには必要なのです。
特徴2.診療終了後から院長と打合せを行います
診療が終了してから、院長とじっくり打合せを行います。
時には休診日や診療を早く終わらせていただいて、打合せをする場合もあります。
しかし、スタッフの方のお話しを聞くためにはある程度の時間が必要なので、その間、院長は診療をしていただいて、診療後に打合せをすることが多くなります。
これからどのようにしたら医院が良くなるのかを院長と共に検討し、必要な補綴メニュー、ツール類、マニュアルなどはコンサルタントが対応可能な範囲で作成まで行います。
コンサルタントがサポートすることで、医院が良くなって行くスピードが上がり、これまでやりたいと思っていたことがどんどん形になっていくことを実感していただけると思います。
なぜなら、それぐらいしないと医院を良くしていくことができないからです。
ここまでの情熱で弊社コンサルタントは医院を良くしていこうとしています。
だからこそ、クライアントの先生もコンサルタントの情熱に押されて頑張ってくださるのだと思います。
特徴3.ミーティングでスタッフのモチベーションを上げていきます
コンサルタントがお伺いして医院の状態がある程度、落ち着きましたらコンサルタントからミーティングでスタッフにメッセージを発信していきます。
コンサルタントが伝えられるのは「仕事のやり方」ではありません。
「仕事へのあり方」「仕事に対する考え方」です。
しかし、これこそがその人がどのように仕事をするかを大きく左右するのです。
コンサルタントのメッセージによってスタッフの意識が変わってくると医院は大きく変わり始めます。
しかし、その前に院長がどれだけ変われるかが非常に重要です。
特徴4.スタッフの意見を集約し、院長の改善点を伝えます
多くの場合、最初はスタッフから院長・医院への不満、改善要求が出ます。
これをコンサルタントが要約し、院長に伝えます。
これを院長がいかに早く改善できるかがその後のコンサルティングの成果に大きく直結してきます。
これができると医院は大きく変わり始めるのです。
また、これができないと医院はなかなか変わらないことも事実です。
医院の成長は院長の成長なのです。
院長の成長とは院長の変化なのです。
そして、これは最初だけではありません。
何も変化のない医院には何も問題は起こりません。
しかし、ダントツ地域一番を目指し変化し続けると人間は変化を嫌いますから問題が起きやすくなります。
それを問題になる前にコンサルタントが把握し、院長に伝え、院長と共に改善策を検討していくことで医院は大きなトラブルに巻き込まれることなく成長を続けることができるのです。
特徴5.スタッフとプロジェクトチームを結成し、院長だけでなくメンバー全員が医院を良くしていく医院作りをします
スタッフはやる気がない人もいますが、そうでないケースも多いものです。
スタッフに役割を任せ、スタッフと共に医院を良くしていくためにプロジェクトチームというのを結成します。
そして、スタッフと打ち合わせを重ねながら1つ1つの取組を定着させていきます。
なぜなら、コンサルタントから無理やりやらされた取組は定着しないのです。
最初はやっているようでも、次第にやらなくなってきます。
自分たちで考えて、自分たちが実行したことしか定着しないのです。
そのためにも、プロジェクトチームが非常に重要なのです。
特徴6.読書感想文、月間目標設定など、医院が良くなることを通じてスタッフの成長も促します
私は経営コンサルティングで医院が良くなって行くことを通してスタッフにも人間的に成長して行ってほしいと思っています。そして、それがスタッフのその後の人生、そして生まれてくる子供にも大きなプラスの影響を与えると思っています。
また、それが医院が安定的に成長していくためには欠かせないと思っています。
ですので、単に医院の業績が良くなれば良いと思っているわけではないのです。
スタッフの人間的成長を促し、医院を安定化させていくためにも、
- 3ヶ月に1回の読書感想文
- 毎月の月間目標設定
は非常に重要な取り組みで、このようなことも医院の状態に合わせて導入していきます。
特徴7.医院が落ち着いてきたら医院の仕組化のお手伝いもいたします
医院の問題点が解決され、核となるスタッフも育ってきたら医院の仕組化のお手伝いもいたします。
医院の安定化、組織化のために必要なマニュアル作成、教育カリキュラムの作成、評価制度など院長、スタッフの皆さんと協力しながら作り上げていきます。
医院継承コンサルティングの概要
契約期間
半年もしくは6回からのご契約となります。
歯科医院の場合、短くても成果が出るまでに半年はかかると思っておりますので最短でも半年契約とさせていただいております。契約期間終了時に、契約を更新されるかどうかを選択していただけます。
「皆さん、コンサルをどれくらい受けられるんですか?」
という質問をよく頂きます。
弊社の場合、コンサルティングを長期で継続して受けられる医院さんが非常に多いです。
やはり、もっと上を目指していこうとするとそこにはコーチの存在が不可欠だからです。弊社での最長は11年目の医院さんがいらっしゃいます。
訪問期間
基本的には毎月1回、訪問させていただきます。
医院様によっては2ヶ月に1回の訪問となる場合もあります。
特に最初のうちは時期を空けずにコンサルティングをしていかないとなかなか、成果が出ないのが実情です。
スケジュール
基本的に午前11時に訪問し、夜10時までお伺いするスタイルです。
11時(多少、前後します)にお伺いし、午前中は主に医院の様子を拝見します。お昼は先生と昼食を食べながら打合せをし、医院の近況を教えていただきます。
午後の始めにミーティングを行います(診療を早めに終わらせてからミーティングをする場合もあります)。
午後はスタッフと個別面談を行います。
その後、院長先生と打合せを夜10時まで行います(長時間の打合せが必要な場合は院長先生の診療を早めに終わらせていただきます)。
費用について
担当コンサルタントによってコンサルティング費用は異なります。
詳細は料金表をご覧ください。
コンサルティング費用はコンサルタントが訪問した月のみ発生いたします。双方のスケジュールが合わず、ご訪問できなかった月は費用は発生いたしませんのでご安心ください。
訪問時以外の相談
E-mail、TEL、FAXなどでの相談は無制限に可能です。
コンサルタントが訪問していない時にも、医院には様々なことが起こります。何かありましたら、すぐにコンサルタントにご相談ください。コンサルタントによく相談される先生ほど、伸びます。
※こちらはクライアント限定の「コンサルデントクラブ」に入会されてる医院様の特典となります。
クライアント特典
ホームページの費用が毎月4万円、年間48万円もお得です。
弊社のコンサルティングを受けてない医院様がホームページ制作を弊社でさせていただきますと制作料30万円(税抜き)、更新料+ノウハウ提供料として毎月5万円をいただきます。
しかし、弊社のコンサルティングを受けていただきますと毎月の費用が5万円ではなく1万円となり、毎月4万円、年間48万円もお得です。
診療圏について
最近はコンサル依頼の3分の1は診療圏でお断りしてます。
弊社の経営コンサルティング先から以下の診療圏内に貴院がある場合は、ご依頼をお断りさせていただきます。
郡部:半径3キロ 市内:半径2キロ 区内:半径1.5キロ
※上記の「経営コンサルティング先」とはクライアント限定の「コンサルデントクラブ」に入会されてる医院のことを指します。
経営塾について
経営塾メンバーにならないとコンサルは受けられません。
弊社の経営コンサルティングが最大限の効果を発揮するためには、クライアントの院長先生、院長夫人、スタッフの皆様、つまり、医院全体が弊社のやり方と考え方を理解し、それが浸透することが重要です。
弊社のやり方・考え方を医院に最も浸透させることができるのが「歯科医院地域一番実践経営塾」です。ですので、最低1回は経営塾に入会(正会員、DVD会員、どちらでも可)していることが弊社の経営コンサルティングを受ける条件となります。
コンサルタント選び
私の開発したコンサルティング手法を歯科医院地域一番実践会のコンサルタントは全員、マスターしております。
落語家であっても、同じ流儀、同じテーマで話をするのでも1人1人、その個性によって味が異なるのと同じような違いがあります。
あなたに合ったコンサルタントをお選びください。
また、どのコンサルタントが良いか分からないという場合には先ずはご相談いただければ、あなたに合ったコンサルタントをご紹介させていただきます。
地域一番化マスター
岩渕 龍正
コンサルフィー:応相談
歯科医院の移転、リニューアルの際の図面作成には絶対の自信を持つ。
現在は、年間医業収入1億円以上の医院が3億円を目指すための仕組みづくり、組織作りに力を入れている。
歯科界での突出した実績は歯科業界以外からも注目を浴びている。
近年は夫婦で医院経営も家庭も成功させる「夫婦成功」にも力を入れている。
地域一番ディレクター
五島 光
コンサルフィー:月30万(税込33万)
元関西の進学塾の先生で中学受験・高校受験生を指導。わかりやすい授業で人気を博す。コンサルティングでは、スタッフ数名から数十名のところまで個性的で幅広い歯科医院とじっくり向き合う。クライアント数は社内一。マーケティング、マネジメント、TC育成など仕組みづくりに粘り強く取り組むのが得意。「勉強好き」も社内一で、現在、社会人大学院で経営学を学んでいる。第1期から歯科医院スーパーTC育成塾メイン講師を務める。
地域一番ディレクター
横山 光孝
コンサルフィー:月30万(税込33万)
弊社唯一の中小企業診断士資格保有者。
前職で飲食専門経営コンサルティングを経験。
8年間に渡り、競争激しい飲食業界の300企業以上の業績アップで培った経験を基に岩渕メゾットを効果的に展開中。
二人の子持ちで豊富な人生経験は社内一。
地域一番チーフディレクター
萩原 直樹
コンサルフィー:月30万(税込33万)
前職の大手求人広告会社在籍中は営業としてグループMVP、チーフとして全社MVPを受賞。
18ヶ月連続売上・新規数字目標達成記録を持つ。
その後、採用コンサルティング会社に6年間、勤務。
大手小売業を担当、組織の仕組化を提案。
営業で鍛えた行動力と採用コンサルで鍛えた論理的思考力で成果を出している。
地域一番ディレクター
岡本 雅史
コンサルフィー:月30万(税込33万)
早稲田大学ラグビー部では13年ぶりの大学日本一に貢献。前職の大手求人広告会社在籍中はチーフとして全社MVPを受賞。
その後、会計保守コンサルタントに転職し、大手企業を担当。
大柄な身体に似合わない高いPCスキルと営業で培った実行力と共感力で成果を出している。
地域一番ディレクター
渡邊 健二
コンサルフィー:月30万(税込33万)
早稲田大学卒業後、大手求人広告会社に新卒入社。
8年間の在籍中に2000社を超えるクライアントを担当。採用のノウハウを学ぶ。
社内ではセールスとマネジメントの異なる分野でMVPを受賞。また、育成したメンバーから全社MVPを輩出。人の強みを活かす育成・プロジェクト運営を軸に、成果を出している。
地域一番ディレクター
染谷 東希
コンサルフィー:月30万(税込33万)
慶応大学卒業後、投資コンサルティング会社に入社。2年連続売上No1達成。
工業系専門商社を経て、友人の父親が経営する会社再生のため新規事業に参画。
全く知識・経験がなかったWEBメディアを立ち上げ、開始わずか半年で月2千万円の利益が出る事業へと育てる。その発想力と実行力、マーケティング力で成果を出している。
地域一番ディレクター
山本 峻士
コンサルフィー:月30万(税込33万)
高校時代に陸上競技のやり投げに出会い、インターハイ、国体に出場。大学では関東学生選手権で6位入賞。新卒で大手製薬会社でMRに従事。入社2年目に1300人中TOP3に入る。その後、プルデンシャル生命保険に転職。初年度に社長賞に表彰される。これまで習得した目標達成スキルと信頼関係構築スキルを軸に、成果を出している。
地域一番ディレクター
山下 淳平
コンサルフィー:月25万(税込27万5千)
大阪出身。大学卒業後、アパレルメーカー入社。1年6ヶ月で当時最年少で店舗運営・責任者に抜擢される。その後、自分を成長させるため、大手求人広告会社に転職。主に東証一部上場企業を担当、MVP等、部内にある全ての賞を受賞。2年目からはリーダーとして、メンバー育成・マネジメントを担当。圧倒的な当事者意識と行動力で成果を出している。
地域一番ディレクター
山ノ内 友哉
コンサルフィー:月25万(税込27万5千)
元MR。医療業界で8年間従事、自身も管理栄養士資格を保有し、医療に対する理解が深い。
現在は医院構築するシステム作り(IT化・業務管理)も行っており、診療効率アップをと並行しながらクライアントの医業収入アップを計る。
医療と経営を高いレベルで両立する地域一番医院を構築している。
地域一番ディレクター
井ノ上 貴之
コンサルフィー:月30万(税込33万)
鹿児島県出身。鹿児島大学卒業後、大学院に進学。ディープラーニングを研究。富士通に新卒で入社。入社後はSEとして財務ソフトウェアの開発に携わる。海外パートナーと組んで欧州主要国の商談を次々に獲得。海外60カ国以上で導入し、社長賞を獲得。SEとして培ったロジカルシンキングと持ち前のコミュニケーション力で医院を地域一番へと導いている。
地域一番ディレクター
中澤 裕太朗
コンサルフィー:月30万(税込33万)
京都府出身。大学卒業後は、飲食業界に入社、1年後に店舗責任者に就任、五期連続赤字だったのを昨年対比200%の実績を作り、4期連続黒字にさせる。その後、コンサルティング会社に転職。新規事業を一から立ち上げ、1年で0から4000万の受注を果たし、社内のコンサルティングチーム部門の中で社内で過去1位の売上を達成。その後、岩渕龍正を知り、1人でも多くの先生達の支援をしたいと思い、経営 戦略研究所の門を叩く。
地域一番ディレクター
前田 雄太郎
コンサルフィー:月30万(税込33万)
福井県出身。大学を卒業後、健康食品メーカーに入社。入社3年後に、取締役に就任。その後勤務した、製薬メーカーの営業部門、研修部門の両部門で優秀社員賞を受賞。経営者の経験、営業の経験、研修の経験と、様々な経験をしたからこそ、長期的・大局的な視点から提案することができる。これまでの経験を活かし、全員が日々成長し、イキイキ働ける医院づくりに挑む。
地域一番ディレクター
五十嵐 康浩
コンサルフィー:月30万(税込33万)
福島県会津若松市出身。大学卒業後、注文住宅のハウスメーカーの施工管理職で入社、入社半年で会社が倒産。その後勤務した、大手アパレルメーカーで当時最短入社1年半で店長職に抜擢。優秀店舗10店舗にまで選出、全社総会にて成功事例として表彰・全体共有される。その後、リクルートへ入社。自身の営業成績としては、最も売上目標の高いSクラス部門で、最優秀営業賞を獲得。合わせて2年連続のグランドスラム(通期目標)を達成する。医院の経営に深いところまで関わり、全力で支援しながら自分を磨き上げたいと考え、入社を決意する。
地域一番ディレクター
平社 雄一
コンサルフィー:月25万(税込27万5千)
埼玉県出身。大学卒業後はイベントの企画・制作・運営を主に手掛けるベンチャー企業へ入社。その後勤務した、東証一部上場会社のイベント部門で1年目から担当した複数案件で粗利益昨年比200%強を記録。定量・定性が評価されリーダーに就任。4期連続粗利益増(平均昨年比160%増)を記録。社内とクライアントの両組織が大きくなることに楽しみを感じ、経営というものに強く関心を抱く。岩渕・先輩コンサルタントの話しを聞き、理念・環境・仕事観に共鳴し即座に転職を決意、入社に至る。
地域一番ディレクター
吉村 拓也
コンサルフィー:月25万(税込27万5千)
和歌山県出身。大学を卒業後、歯科医院の内覧会業者にて5年間で延べ200軒以上の歯科医院の新規開業に携わり、6万人以上の集客を実現。内覧会での診療予約率を会社平均の3倍以上に。本業の傍ら輸出業を展開し、初月から5ヵ月連続売上100万円越えを達成。さらにYouTube界へ参入し2ヵ月で収益化条件を達成。本業をこなしながら事業主としての考えを身に着けていくうちに、もっと歯科医院の経営に踏み込んだことをしたいと考え、経営戦略研究所に辿り着く。
地域一番プロデューサー
今泉 潤一
コンサルフィー:月20万(税込22万)
茨城県行方市出身。大学を卒業後、人材会社にて派遣・紹介業務に従事、最年少で課長職となり年間最優秀賞を受賞。その後、美容医療業界に特化したコンサルティング会社に転職、全国で年間500名超の採用活動を行ないながら入社後の評価や教育実務も担当、グループ子会社の部長職も拝命。そんな中コロナ禍となり、自身の業務や今後について見つめ直していた所、経営戦略研究所の存在を知り、理念や環境、業務内容に強く共感し入社。
地域一番プロデューサー
滝沢 英之
コンサルフィー:月20万(税込22万)
秋田県出身。地元企業からリクルートへ転職し、リクルートでの在籍期間7年で個人店から数百人規模の企業まで様々な業種、業界の経営者へ求人の提案を行うことで採用のノウハウを学ぶ。営業未経験ながら、上司、先輩の献身的な指導と自身の強みである「人物理解、信頼して任せる」という部分を評価して頂き、4年目でチーフ任用(マネジメント)。営業部におけるチーム売上トップ賞、新規獲得における取り組みが評価された特別賞、最優秀グループ賞などを受賞。また、育成したメンバーからMVPやチーフを複数名輩出。営業部においての戦略商品の推進リーダーを任され、70人以上の組織を動かしながら成果を出す。ということを経験。
地域一番アドバイザー
太田 智之
コンサルフィー:月15万(税込16万5千)
岡山県出身。新卒で医療福祉に特化した大手給食委託会社へ入社。入社後は営業部門・管理部門に携わり新規開拓営業や社員のマネジメント業務を担う。社員の離職率が15%を超えるなかで担当したエリアでは8%台まで改善。解約率についても全国平均約10%のところ5%台に改善する事ができ、お客様からの信頼も獲得していく。岩渕が語る「無限の人に無限のきづきと無限の豊かさを与える」というビジョンに感銘を受け入社を決める。
地域一番アドバイザー
三日市 柊
コンサルフィー:月15万(税込16万5千)
東京都府中市出身。大学卒業後、トヨタ自動車直系の自動車販売会社に新車販売の営業として入社。東京の田舎に配属になり都心に比べると販売が難しい環境に身を置きながら2年目には年間表彰、新人賞を受賞。また、多摩地区で自動車保険の成約件数で全体の上位10%に入るなど、営業として高い実績を上げてきた。「物を通してではなく、自分を通してクライアントを豊かにしたい」、「もっとクライアントに寄り添った仕事がしたい」「困っている院長先生の力になりたい」との思いで経営戦略研究所に入社を決意した。
医院継承コンサルティングのお申込み
医院継承コンサルティングを希望される方は、先ず、以下のフォームからお問合せ下さい。折り返しご連絡をさせて頂きます。
「じゃあ、経営コンサルティングを頼んだら、必ず、上手くいくのか?」
と聞かれれば、「必ず、上手くいくわけではありません」とお答えするしかありません。
また、「成功率100%」とも言えません。私達は神ではありませんので。
恐らく、成功率は80%ぐらいだと思います。
弊社の経営コンサルティングを受けて、成功する人の特徴は
- コンサルタントの提案を素直に聞き入れ、すぐに実行する人
- スタッフのことを大切に出来る人
- 短期的な売上げアップではなく、長期的に医院を良くして行こうと考えている人
です。
逆に、弊社の経営コンサルティングを受けても、成功しない人の特徴は
- コンサルタントの提案をすぐに疑ってかかり、「それをすると患者増えるの?」とすぐに聞く人
- スタッフのことを「金払ってるんだから、働いて当たり前」と思ってる人
- いつも、お金のことばかり考え、患者さんがお金に見える人
です。
「経営コンサルティングが上手くいくのか?」ということについては、後は、これからご紹介する、私のクライアントの声をご覧になって、ご自分で判断してください。
歯科医院地域一番実践会
地域一番化マスター
クライアントの声
継承は、どんな人に聞いてもたいへんで、新規開業したほうがいいという話を聞いておりましたし、自分の目指している医院への道(時間)は遠くなるだろうなと考えておりました。しかし、勤務医時代はそこまで親の想いなどは考えず、「近いうちに移転、戻ったら早々にスタッフについて来てくれるか信義を問い、無理なら退職をお願いしようか?」とも考えておりました。そのように考えていましたので、「相当たいへんだとはいえ、痛みを伴えど、何とかなるんじゃないか?」という根拠のない自信がある一方で、「どれくらいしたら、自分の学んできた臨床を実現でき、親と自分とスタッフに満足な生活を与えられるのだろうか」とも考えておりました。
実家に戻ると、患者さんがみんなご高齢でした。平均年齢が70歳代くらいだったと思います。8~9割が国保でした。そして、医院が古く、汚い。歩く導線に物が溢れてて動きにくい。清潔、不潔を述べる以前に汚い……という状況でした。私物と医院のものの区別がなく、秩序が乱れていました。アポイントに無駄が多く、患者さんが少ない割になぜか焦って診療していました。また、スタッフとの共通言語がなく、話をしてもうまく伝わらない、うまく受け取れないことによるコミュニケーション不足・渋滞が多く生じており、お互いにストレスを感じることになっていました。
患者さんの数は、1日20名程度、新患が月に7名という状況でした。そして、予約のキャンセルが出た際に、直接ご連絡を入れるようにしたのですが、返ってくる返答は「先日、主人は入院しました」「連絡してなくてすみません。先日亡くなりまして……」という返答が多く、新患数より、やむを得ない中断数が多かったです。どんどん衰弱していく医院なのではないかという不安にかられていました。
また、親からは前勤務先の「やまむら歯科」があまりにも経営が長けていたため、眉唾もの、信じてもらえない、疑いの目で見られる、働き方も無理してるんじゃないかとブレーキをかけられました。診療においては、考え方、治療方針が違うためお互いにストレスを溜めていました。そのときには、親がいままで積み上げてきたものへの尊重したい気持ちと、診療中は「どうしてそうなるの?」という不満な気持ちが積み上がる状況でした。その解決には、会話をしていくしかないと思い、診療後やお昼、休日にちょこちょこと会話を増やすようにしました。そこで自らの考えと親の考えのすり合わせて、妥協点の決定を進めました。
スタッフについては、継承前に自分のしたいこと、これからの高嶋歯科医院の方向性をプレゼンしに行ったのですが、数人の方にはまったく響いていませんでした(いま思えば共通言語のないなかでは、あたり前かもしれませんが)。いざ診療に入ってから、変更点を伝えていくなかで、素直に取り組んでくれましたが、思っている完成度・精度が出ないことが多かったです。その部分においては、自分が引っ張っていくんだという気持ちで、診療前、診療後、夜中、休日に修正をかけ続けました。また、スタッフのみんなにいろいろなことを話しても、なかなかコップが上向きにならないときには、もどかしさ、悔しさ、無力感を感じました。そんなとき、スタッフにとって何がプラスになるのかを考え、さまざまな行動を同時進行していきました。就業環境、就業規則、診療効率、大入りやボーナス、食事会などを行いましたが、結果として一番手応えがあったのは、清掃・整理・整頓です。この環境整備は、DR・DH・DA・Reの全役職に共通する価値観であることに気づきました。
最初は自分の医院を、患者さんを迎える環境を、何とかしたいという気持ちでしたが、環境整備のなかで、自分の学費などがこの歯科医院から捻出されてきたものだと、だんだんと実感を得ることで感謝の気持ちが自然と生まれてきました。そして継承前では、既存スタッフのみんなに対しては何かあれば冷徹に徹しようと思っていましたが、この時期にその思いは薄れて、すべてを背負う覚悟ができていったのです。
夫婦間については、妻とは高校生のころからの付き合いで、自分の性格、勤務医時代の働き方なども知ってもらえていたので、さほどトラブルにはなりませんでした。しかし、妻は歯科とは関係のない世界で生きてきましたので、経理や経営補佐の部分では負担を感じることも多く、子育てとの両立には苦労をしておりました。そうなると、ある程度の規模感をもって社会保険労務士、税理士の先生などにアウトソーシングする必要性を、夫婦間の幸せ像に繫がるものとしてイメージしておりました。そのことは妻にも話し、時期を決めて実行してきました。
お金の面については、継承当初は自己資金も少なく自己貯金のみではショート仕掛けましたが、何とか乗り切りました。そこに関しては、経営向上の手法のうちノーコストで実施可能なものからどんどん進めていきました。マーケティングにおいては院内マーケティングでも患者知識の向上、キャンセル率、中断率、リコール率の改善はPCさえあれば、ほぼゼロ円の投資で多くのリターンを期待できることですし、知識の向上、材料の交換なども、純粋に患者さんのためにもなり、そしてスタッフの労力もあまりかからないため、最初に取り組みました。
その後、経営状況が上向きになって(利益が残るようになって)から、画像管理ソフト、アポイント管理ソフト、ユニット、技工器具、その他小器具に関しても費用が掛かるものに投資をしていきました(この点に関しては、正直けっこういいペースで改善されていったので苦労がそれほどになく、参考になることがあまりないかもしれません。自分のなかでは投資の順番をすごく意識しました)。
歯科医院地域一番実践会との出会いは勤務医時代です。勤務先の「やまむら歯科」が実践会・経営塾に参加をしており、当時自分の先輩2人が入社2年目に「経営塾ベーシック」へ参加をし、金賞を目指してチームリーダーをやり切ることをなされていました。その際に一つ上の先輩が表彰式で銀賞の発表を受けた瞬間に膝から崩れ落ち、悔しがっている姿を目の当たりにして、「自分も参加して何とか金賞をとってみたい!」と思ったのが実践会との出会いです。その後、スーパードクター育成セミナーへの参加は大きな機転になっているかと思います。
実践会に出会う前から、自分のなかでは臨床と経営を意識しなければならないことを知って 歯科医師になったつもりです。そのとおりで、実際は「経営はやらなければならないものであった」のですが、実践会に参加してその奥深さや幅の広さを知り楽しさを知りました。どうせやらなきゃいけないなら得意なほうがいいし、楽しいほうがいいんじゃないかと思い、学び続けたいと思いました。
そして、実践会には多くの前向きで素晴らしい仲間がいて、全国に絆が生まれました。そして、その仲間からつねに有益な情報が得られ、向上心を忘れないでいられます。
それによって、以下のような数値の変化がありました。
2015年(継承時):5600万円、新患数一桁、レセプト枚数350枚程度、自費率10%
2016年:1億1000万円、新患数20名程度、レセプト枚数700枚、自費率22%
2017年:1億5000万円、新患数30名程度、レセプト枚数850枚程度、自費率28%
2018年:1億8000万円、新患数50名程度、レセプト枚数1,000枚、自費率33%
2019年:2億3000万円、新患数80名程度、レセプト枚数1,300枚、自費率32%
私は3人兄弟の末っ子長男で、姉が2人いて、男は私1人です。
幼いころから親戚や近所の方から、「将来は歯科医師になって跡を継いでね」と、期待され、いつしか自分もそれを受け入れ、歯学部を目指して歯科大学に入り、歯科医師になることができました。
しかし、実際に歯科医師になると、関東の都会で開業する道を勧められることもあって、実家を継承するかどうかを考えました。しかし、幼いことからの周りの期待に応えたいという想いもあり、継承という道を選びました。
子どものころは、活気ある1日100人ほどの患者さんで溢れている歯科医院の印象がありました。また幼いころに、スタッフさんと一緒に社員旅行に行ったり、自分のおもちゃを歯科技工士さんに直してもらったりと、よい印象があった実家の歯科医院を継承することには不安があまりありませんでした。
学生時代にバスケット部でキャプテンとしてチームをまとめていた自信もあったので、自分なら何とかできるだろうと安易な考えで実家の歯科医院へ戻りました。
そして、東京での勤務医時代にお付き合いしていた歯科衛生士の妻を連れて2人で青森へ帰省しました。 しかし、戻った実家の歯科医院をみて、私は愕然としました。患者さんで溢れていた活気ある歯科医院の姿はそこにはなく、患者さんは1日10人前後、日によっては1日の来院が1人という日もありました。何より驚いたのは、共に働いているスタッフたちが荒れていたのです。勤務時間中にタバコ吸う、受付スタッフが携帯をいじっている、占いの本や漫画を勤務中に隠れて読んでいる……。
そんなスタッフに怒ることもせず、父は朝から1人で 医院前の雪かきをし、率先して患者さんをお通しし、アシストが来なくても背中を丸めて一人で診療をしていました。医院経営の売り上げの推移データを調べると、父の高齢化と共に下がり続けていました。自分が私立歯科大学で高額な学費を使っていたころ、実家の歯科医院はとてもそんな学費を支払える経済状態ではありませんでした。父は贅沢もせず、老後のために蓄えていた貯金を切り崩し、子ども3人を私立の大学へ行かせ、末っ子の自分の学費を支払ってくれていたのです。
そんなことは何も知らず、私は、バイトもせず、親のスネをしゃぶり尽くして学生生活を謳歌していたことに改めて気づきました。実家はいまも裕福だとばかり思っていました。
全身をカミナリで打たれたような激しい衝撃を受けました。強い強い後悔。自分はなんてバカ息子だったのか。そして、悔しい、涙が溢れるほど強い悔しさ、自分にとって幼いころから父、繁盛している実家の歯科医院は私の誇りだったことに気づきました。いまの医院現状が悔しくてたまりませんでした。惨めな父をみたくありませんでした。
「よし! 私自身がこの歯科医院を昔のような患者さんで溢れ、活気ある歯科医院へ、再びスタッフと仲良く社員旅行に行けるような歯科医院へ復活させてやる!! それが私にいまできる親孝行であり、私が青森に帰ってきた意味なんだ!」と、そう強く決意し、行動しました。
当時、勤務医時代の半分の給与になった自分には経験もお金も、人脈もありません。そこで頼ったのが学生時代のバスケ部の先輩でした。その先輩は地方でご自身で開業し、地域一番医院へと発展させていると後輩のなかでも評判だったからです。藁をもすがる想いで、その先輩の医院へ住み込みで一週間、医院見学、勉強させていただき、自分の視野の狭さ、思考の浅さ、本当にたくさんの自己評価をさせていただき、また、本当にたくさんのことを教えていただきました。そしてそこで、自分の歯科医師人生を大きく変える一冊の本と出会うことになるのです。
それが赤本、『歯科医院地域一番実践プロジェクト』でした。引き込まれました。そして、私が勤務医時代を含め、よく知っている歯科医院の姿がそこにありました。そして、見たことも聞いたこともない考え方や手法がそこに載っていたのです。
平成10年に、大学6年、研修医3年、勤務医4年の計13年を東京で過ごして、実家である父親が経営している歯科医院に戻ったときは、本当に愕然としました。
もともとまだ東京に残り、田舎に帰りたくなかった自分のリサーチおよび、準備不足が一番の問題だったのです。
経営状態はよいとは思ってなかったが、これほどまでひどい状況とは想像していませんでした。
レセプト130枚、自費はほぼゼロ。
常勤のスタッフ、勤務医の給与などの運転資金は父親の貯金を切り崩している状態でした。
そのような状況で、せっかく東京で学んできた知識も技術も、まず患者様がいないことにはどうにもならない現実に、絶望すら覚えました。
しかし、そのような状況を嘆いていても何も始まらないので、できることをしていこうと決心しました。
この時期に経営力の乏しい自分を心配して、スタディグループの先輩からいただいた岩渕さんベストセラー本「赤本」と出会いました。
目からうろこのことばかりで、1日で読み切り、自分の経営者としての未熟さを自覚しました。
赤本に書かれていることなどを参考に改善を試みました。
しかし、診療時間の延長、訪問診療の取り入れなど、患者数を増やすことばかりに焦点をあてた偏った改善は劇的な結果が出なく、レセプト200枚の壁を超えることのできない暗黒の6年間でした。
父親との継承でも意見の相違が大きく自分が経営をできるまで、かなりの時間を浪費してしまったことは、いま考えると実家に帰る前の事前準備をまったくしなかった自分の未熟さであり、恥ずかしくなります。
医療をサービス業と考える自分と真っ向から否定する父親。
この溝は埋まらず、継承までの貴重な時間をたくさん浪費したことは、適切なアドバイスがあればかなり避けられたであろうことを、後に実践会様のセミナーに参加して気付きました。
継承後は移転開業したのですが、ここでも自分だけの知識で設計したことをいまでも反省しています。
医院を新築、そしてデジタル化した結果、レセプト300枚を超え、その当時の自分としては必至で頑張っていたのですが、いま思えば空回りしていたことを懐かしく思います。
この当時は「仕事観」などという概念もなく、ただ患者さんに素晴らしい治療をしさえすれば大丈夫という、偏った「仕事観」で診療していました。
経営者として未熟で、なおかつ知識不足の院長とスタッフとの関係はよいわけがなく、深い溝があり笑顔の少ない歯科医院でした。
患者様が増えるに従い、スタッフも増員が必要となり、場当たりの採用しかしていない組織に優秀なスタッフ来てくれるのは奇跡に近い状態でした。
忙しいが楽しくない職場に悩み、解決策として、スタディーグループの外部講師としてお呼びした岩渕龍正様の教えが心に響き、2010年経営塾ベーシックコースを受講することにしました。
経営塾で自分の人生のなかで初めてというくらいの大きな衝撃をうけ、自分がいかに未熟な経営者であることを自覚しました。
そして「過去と他人を変える」のでなく、「自分と未来を変える」というマインドチェンジして、医院改革のスタートをきりました。
そして人は求めたものしか手に入らなないという教えに従い、「明るく笑顔あふれる歯科医院にする」ことを一番の目的として、とどろき歯科医院の成長がスタートしました。
まずは「ありがとう運動」から始めました。
まだこの当時は、院長とスタッフの間に深い深い崖のような溝がありましたので、「ありがとう運動」の当初はぎごちなく、すごく不自然ではありましたが1日100回を目標にやり続けました。
その当時のことを数年経ってからいまのチーフに聞いてみると、本当に白々しく感じたそうです。
ホームページの開設、カウンセリングシステムの導入、TCスタッフの採用、カウンセリングルーム設置など、実践会様から教えていただいた取り組みの効果もあり、レセプト数、医業収入も右肩上がりで増加しました。
院長自ら変化しだしたことで、スタッフのみなさんが少しずつですが、未熟な院長についてきてくれるようになり、数々のセミナー(経営塾ベーシック、幹部スタッフ育成塾、スパースタッフ育成塾、スーパーTC育成塾、スーパードクター育成セミナー、新人スタッフ育成塾)などに参加してくれるようになりました。
その結果、スタッフみんなが同じ「仕事観」を共有できる、笑顔あふれる素晴らしい職場と変化しました。
2018年現在、医業収入もセミナー参加前の3倍の1億2000万円を超えることができ、さらに設備投資、人材育成に投資できるといった素晴らしい循環ができはじめています。
患者様からも「医院の雰囲気がよいですね」とお褒めいただく歯科医院となれて、心から実践会様に感謝しています。
高校時代、明確な将来像がなかった私にとっては、祖父の代からの家業である歯科医院を継ぐことはごく自然なことで、医院を継ぐために歯科大学に行きました。また、歯科医師になりたい理由も、歯科臨床が大好きで昼夜問わず仕事に没頭する父の姿を幼いころからみて、歯科臨床を父から学びたいという理由からであったように思います。
大学を卒業してまもなく、父と7年間、一緒に仕事をしておりましたが、当時、医院はバブル崩壊後の経営難から多額な借金があり、返済に追われる生活でした。自宅と歯科医院が離れていたことから、医院がこれほどたいへんな経営状況になっているとは想像していませんでした。卒業したての私には、とても診療や仕事を楽しむ余裕はなく、父には、愚痴や恨み言を言っても、感謝することはありませんでした。
3人兄弟の末っ子である自分が家業の歯科医院を継いだことを悔やんでいました。
実家を継いだわけ、歯科医師になった理由など、完全に忘れていました。
その後、父が引退して四年ほどで借金を完済できましたが、古くなる設備への投資が次々と必要になるため、依然として、安定し豊かな生活とは程遠いものでした。
実を言いますと、父が他界した当日のことが、いまでも忘れることができません。
もちろん、ネガティブなことではなく、ポジティブな意味として、一生、大切な思い出となることと思います。
私は、毎朝、家内と二人で川崎市の生田から、都内の診療所まで車で通勤しているのですが、当日、家内が「今日は診療所には行かず、直接、朝から父のお見舞いに行く」と言い出しました。
父の病状は小康状態にあり、退院までは少し時間がかかりそうだったので、父が心配というよりは、入院してから十日間、毎日、見舞いを続ける88歳の母を気遣っての行動と思いました。
当日の私は、どうしても抜けられない歯科医師会の会議があり、お見舞いに行けません。そこで、家内にひとつのお願いをしました。
それは、父への伝言でした。
「育ててくれて、ありがとうございます。お父さんの息子で幸せです。そして、榎本歯科医院に勤めさせてくれて、ありがとうございます。これからも、泉と力を合わせて、榎本歯科医院を繁栄させますので、安心してください」
父は、酸素マスクを着けていたこともあり、うまく話せなかったのですが、優しく微笑みながら、家内の目を見て、深く頷いていたそうです。
その後、病状が急変したと連絡を受け、私は会議に出ずに病院へ向かいました。
しかし、もう問いかけにも反応が薄い状態でした。
3時間後、父は息を引き取りました。
いままでの48年の人生のなかで、父に感謝の気持ちを伝えてことはありませんでしたが、やっと、最後に伝えることができました。
しかしなぜ、父に心から感謝の気持ちを伝えることができるようになったのでしょうか? それは、間違いなく、地域一番実践会に参加したおかげです。
ベーシックコースで感謝を伝える大切さを学び、そして、コンサルに来ていただいたことで、生活が安定しゆとりができたからです。加えて、大好きな歯科臨床に集中できるようになり、一緒に働くスタッフの幸せを心から願いながら、仕事を楽しめるようになったからです。
そしていまは、「私は地域で一番の歯科医院の院長に。担当のコンサルの方は日本で一番のコンサルタントに。そして、お互いに世界で一番の家庭を築くこと」を目標に頑張っています。
まだ、実践会に参加して4年ですが、診療時間、ユニット数、スタッフ数は変えず、新患数、レセプト件数、医業収入ともに2倍になることができました。
地域一番実践会は「人生の再生工場」です。
私ほど岩渕さんの恩恵を受けた者はいないのではないのでは、と思っています。
「歯科医師になり祖父、父と続く実家の歯科医院を継ぐ!」
このことは自分にとって幼いころから、家族親戚に刷りこまれてきたことでした。
とくに早くに他界した母親の強い願いでもあったので、継承することが当たり前と思っていたのです。
私が勤務医としてお世話になった院長先生も父親と同世代だったので、実家に戻ってもきっとうまくやれるだろうと思っていました。
28歳のときに4年間の勤務医を終えて、実家の医院改装のタイミングで戻りました。
医院のデザインはすでに父と叔母で決めており、私の意向はまったくとおりませんでした。
育ってきた環境や高い学費を払ってもらった負い目があり、その状況に甘んじたのです。医院改装と同時に実家の新築も行い、多額の借入をしていました。
このことは後に大いに自分の首を絞めることになるのです。
そしていざ実家の医院で父親と一緒に診療を始めるのですが、たくさんいると思っていた患者様はそれほどおらず、平日の午後は 待合に誰もいない状況でした。
ちなみにスタッフは歯科衛生士の妻だけ。
私は「予約制にしたい」という考えの一方で、父親のやり方は「来た順に診るという昔ながらのやり方」。また、私は「歯周病の治療をしたい」という考えの一方で、父親は「歯周病の治療を重要視しない」など方針の違いがどんどん出てきました。そうなってくると、お互いの正しさを押し通そうとして関係は悪化してきます。
その間に入っていた妻も父と関係が悪化し、さらに私たち夫婦の関係も悪くなってしまいました。関係改善のため妻は医院の手伝いを辞め、さらに私たちは父親たちとは別に住むようになったのです。
医院には関係の悪化した父親と私の2人……スタッフはゼロ人です。
つまり診療のアシスタントなし、受付、電話対応、器具の洗浄滅菌、掃除をすべて私一人でやるということ。これが1年半続きました。当然さまざまなエラーが生じ、院内の雰囲気もよくないので患者様の満足度は下がり、患者数も減少していきました。それに拍車をかけたのが、近隣での新規開業ラッシュ。まさに負のスパイラルです。多額の返済もネックになり、設備投資や行きたいセミナーには行けず、どんどん退化していく日々でした。
「これではいけない」とスタッフを雇用しようとなり、そのタイミングで妻が復帰してくれました。
ただ父と私の関係は悪化したままなので、院内の雰囲気はよくありません。そんな職場でスタッフが長続きするはずもなく、入れ替わりの激しい医院となっていました。
その後なんとか借入の返済が終了。ここで私は安堵感に浸り、また何もしなくなってしまいます。
ただ近隣では新規開業が続いていました。
立地もよくない、何もしない医院……。患者様の増える要素はまったくなし、それどころか減る要素しかない状況。完全に“ゆでガエル”状態でした。
ゆで上がる寸前、完全な閉塞感のなかで出会ったのが岩渕さんの赤本でした。読んだときに、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けたことを、いまでも鮮明に覚えています。
その後、経営塾に参加。
自分が変わらなければ何も変わらないという最大の学びを得られました。
いままでは人を変えようとばかりしていました。
自分の正しさを押し通そうとしていました。
本当に器の小さい人間だったと思います。
そのことがわかると長年関係の悪かった父、本当に頑張って支えてくれた妻、スタッフや周囲の方々に感謝の気持ちが自然と生まれ、「ありがとう」という言葉で感謝を伝えられるようになったのです。
そしてようやく、20年という長きにわたる負のスパイラルを断ち切ることができたのです!
数字的には、最悪だったころと比べると経営塾参加二年で医業収入は1.3倍、レセプト枚数は2倍以上、月の新患数も6倍以上になっています。
またゼロ人だったスタッフも6人になり、安定して長く勤務してくれています。
まだまだ飛躍して地域に貢献していきたいと思っています。
岩渕さんをはじめ実践会にみなさまには、本当に心から感謝しています。
「継承=やって当たり前」と思ってました。
「歯医者の長男として生まれてきたんだから、親父の後を継ぐのは当然でしょ」と。
そして、「歯医者はお金持ち!」と世間が言ってるし、余裕でしょ。いつか、親父が「帰ってこい」って言ったら、サクッと継承しよ~……と考えてました(笑)。
なので、歯科医師5年目まで、大学に残り、学生気分が抜けないまま、稼いだお金をパチンコや飲み会にすべて使っていました。ぶっちゃけ、当時の給料は年収800万円でしたが、貯金ゼロでした。
当時の趣味は、学生に飲み代を奢って「ありがとうございます!」とチヤホヤされることでした。しかし、そんな私の人生に転機が訪れます。
実家の医院の状況を詳しく知ったきっかけがありました。
それは、父の借金。2013年、私が30歳のころ、父の借金を引き継ぎ(共同債務者として)、約9,000万円の借金を背負うこととなりました。
この借金は、事業資金はほとんどなく、ほとんどが子どもたちの学費でした。私は4人兄弟の2番目の長男で、私の他に、姉、妹、弟がいます。4人とも、高校、大学を私立に通わせていただきました。私の両親は、子供たちが将来困らないようにと、「教育」を与えることに命をかけていました。
しかし、それとは反対に、開業当初は、近隣の歯科医院が4件しかなかったのが、30件と増え、どんどん患者数は減り、経営状態は厳しいものでした。増える学費。減る医業収入。それでも4人に平等に与えたい「教育」。結果として、借金をせざるを得なかったのです。
こうしてできた借金ですが、今度は返済ができないとなったのが、2013年のことです。
返済額を減らすための条件として、私を共同債務者とするという話がでました。当時は何も考えずにサインをしました。なぜなら、あんなにも悩み、悲しい顔をした両親を見たことがなかった、そして、もう見たくなかったからです。
しかしながら……なんで俺だけ! こんな借金を背負わないとならないんだ!! という思いから、両親と喧嘩が増え、人間関係は最悪でした。
さらに、借金の蓋を開けてみたら9,000万円って!!! そしてなんじゃこの利率!!!????(多分みなさんの利率の5倍くらい)。しかも銀行は〇〇○銀行って超いま流行のやつ!!! 医院開業する前に、すでに開業資金分の借金あるってまじか!?と、あとからビビるというパターンでした。
そして何よりもビビったのは……「あれ……、俺、何の武器ももってないや」。
男、山田優貴、30歳、趣味はパチンコと後輩に小金をちらつかせ、飯を奢ってありがとうと言ってもらうこと。こんな私にはどこを探しても、何の武器ももってなかったのです。まさに、竹槍で乱に飛び込む農民の如く、竹槍をもって9,000万円という借金に飛び込んだことに気づいたときに頭のてっぺんからズドンと雷が落ちたかのように目が覚め、
「このままじゃ、あか~~~んっっっ!!!!!!!!!」
と、生粋の東北人が、宮川大輔さんバリの声と関西弁で叫んだのをいまでも覚えてます。
そこで、「自分なり」にまず行動したのが、人間関係の整理です。いつも飲みに行く楽しい仲間、後輩から、身を離すことで、強制的に自分を変えようとしました。速攻で大学を辞め、大好きな地元盛岡を離れれば、物理的に仲間と合わず仕事に集中できると考えました。そして、「こんな自分を支えてくれていた彼女のために自分は成功するんだ!」とけじめをつけるため、プロポーズし、結婚しました。結婚前、借金があることを告白すると、妻は「あなたの学費でしょ? あんた返したら? 普通に」と言いました。女は強い。
そして就職先に求めたものは学術でした。「学術を究めればきっと成功できる!」。そう信じて疑いませんでした。しかし、学術を学んでも、一向に借金の不安は消えません。「本当にこの技術を都南歯科医院でたくさんの患者さんに提供することができるのか?」、「スタッフは協力してくれるのか?」ってか、「そもそも患者さんって来てくれるのか?」。全然自信がもてずにいました。
そんなときにある先輩と再会します。その先輩は、2代目院長として医院を継承し、低迷していた状態からV字回復させ、スタッフ育成もうまくいっていて、私にとってはキラキラ輝いていた方でした。青森県八戸市にある、根城よしだ歯科院長、吉田洋一先生です。洋一先生は大学バスケ部の先輩で、うまくいっていない私を気にかけてくださり、相談に乗ってくださいました。すると、「絶対成功させてやるから、うちに来い!」と言ってくださり、2014年4月、根城よしだ歯科で4年間、妻と共に勤務することを決断します。
根城よしだ歯科では地域一番実践会の学びをベースに医院経営されてました。勤務医時代一年目の必修セミナーとして「スーパーDr育成セミナー」を受講しました。正直、衝撃でした。このセミナーが自分の歯科医師人生を180度変えたと言っても過言ではない内容でした。「やり方」だけを求め続け「あり方」のないthe 勘違いDrでした。このセミナーを受講して、私が具体的に以下のとおりに変わりました。
・すべての責任は院長にある→責任は自分にある!
・自分のために仕事をする→医院のため、患者さんのために仕事をすることが、結果、自分のためになる!
・自分ができればいい→自分の周りを成長させ、よき協力者をたくさん作る!
・スタッフマネジメントは院長の役割→マネジメントもともに関わる! サポートする!
・商品開発は院長の仕事→勤務医、自ら商品開発に関わる!
・自分のやり方でやる→成功する原理原則にしたがう!
この変化によって、治療の自費率、患者さんの紹介件数、さらには治療技術も加速成長していきました。そして、満を持して、妻とともに2015年に参加した「ベーシックコース」では、医院目標として「金賞!」、個人目標として、「都南歯科医院の院長をセミナーで体感し、成功イメージをもつ」を掲げ参加しました。
「金賞=根城よしだ歯科への貢献=都南歯科医院の成功」と定義し、妻と実践しまくりました。
ほぼ1年間、実践のために夜も寝ず、実践事例、読書、実践事例、実践事例、実践事例、読書……。
夫婦会話もほぼなく、たまにする会話は、実践事例の内容でした。というか、よく妻は文句ひとつ言わずついてきてくれたなと、この文章を書きながらしみじみ感謝。本当にありがとう。とはいえ、実践事例を作るたびに学びは深まりました。自分の医院でもこのままTTPしよう! これは親父にも教えようなど、将来の自分の医院での実践をイメージでき、勤務医にして継承成功イメージがグングン湧いていたのです。
まさに、竹槍が徐々に聖剣と化した。そんな感覚でした。そして宣言どおり、見事、「2015年度地域一番実践会ベーシックコース金賞」を医院にもち帰ることができました!
そして根城よしだ歯科で学び続けること5年。いよいよ卒業し、2019年4月から、実家の医院、岩手県盛岡市、都南歯科医院副院長に就任しました。継承前に徹底していたことが、
・院長(父)との人間関係を誰よりもよくすること
・院長(父)に地域一番実践会の必要性を毎日語ること
です。
2018年の4月から週2~3日、都南歯科医院でバイトしていたので、週2~3日は父と飲みにいき、将来どんな医院にしたいか、なんで継承したいかなどを語り合い、そして、常に、「歯医者にしてくれてありがとう」という言葉をかけました。さらに、今後、都南歯科医院の発展には地域一番実践会が必要なんだということを伝え続けました。
その結果、いまでは、院長(父)が自ら岩渕さんの赤本を購入し、読み、コンサルタントの導入にも積極的に賛成してくれて、私の後押しをしてくれています。ま、たまに喧嘩するけど。数字面としては、まだまだ継承して九ヵ月ですが、ユニットは3台で、レセプト枚数は110枚→310枚、1日の来院患者数は6名→30名、自費率は15%→38%、医業収入は約2倍、継承前の年間医業収入は4,300万円を6ヵ月で達成。そのような、結果が出てきました。歯科衛生士採用、歯科医師採用ももうまくいきました。
来期はユニット3台で1億円を達成し、2021年リニューアルオープンと、さらに飛躍してまいります。これも、根城よしだ歯科院長 吉田洋一先生との出会い、地域一番実践会様との出会いのおかげ。そして何よりも、支えてくれている両親と妻のおかげ。
「自分一人で成し遂げられたことなんて、何一つない」、「誰かのおかげ様で自分があることを心に刻み、歯科医師として患者さんの人生の質を高めるパートナーとなり、地域を、東北を、日本を、よくしてまいります」。まだまだ未熟者ですが、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。