地域一番アドバイザー太田 智之

略歴

岡山県生まれ。
岡山の田舎で生まれ自由奔放に育つ。小学校からソフトボールを初め、高校の途中まで野球に明け暮れる。高校卒業後、神戸市の大学を卒業、新卒で医療福祉に特化した大手給食委託会社へ入社。入社後は営業部門・管理部門に携わり新規開拓営業や社員のマネジメント業務を担う。

前職で大切にしてきたことは、社員のこと・患者様のこと・顧客のことを考える事です。その結果、社内では着実にステップアップしていきました。特に社員の離職率が15%を超えるなかで担当したエリアでは8%台まで改善することが出来ました。解約率についても全国平均約10%のところ5%台に改善する事ができ、お客様からの信頼も獲得することが出来ました。しかし、会社の方針や国の方針から、自分の仕事が世の中や誰かの為になっているのかが分からなくなってきました。そんな時、経営戦略研究所と出会い代表の岩渕の想いをしりました。

岩渕が語る「無限の人に無限のきづきと無限の豊かさを与える」というビジョンを知った時に衝撃を受けました。また役員の萩原をはじめとする社員全員が本当に同じ意識を持ち業務に向き合っていることにも驚くと共に感銘を受け入社を決めました。そして地域一番医院へ向けてクライアントと共に歩んで参ります。

太田をより知って頂く為に

幼少期

岡山市の外れの緑豊かな場所で生を受け、山、田んぼ、川で泥だらけになりながら幼少期を過ごす。両親は仕事に忙しく朝7時には家を出て夜中の22時に二人とも帰ってくるような家庭で過ごす。その中で近くに住んでいた祖父祖母に面倒を見てもらう事が多く、学校からの帰宅先はいつも祖父の家。晩ごはんは基本的には、毎日祖父の家で食べて、寝る前に両親が迎えにきて実家で寝るという生活をしていました。その中で働くことの厳しさを知ると共に、一生懸命働いている両親をかっこいいなと思うと共に、誇りに思い幼少期を過ごしました。

挫折と後悔

小学校からはソフトボールを始め、中学校からは野球に切り替える。毎日夜中まで練習をして正に野球漬けの日々を過ごしていました。そして中学時代は多少の勘違いが出来る程には野球が出来るようになり、高校は県内では古豪で知られる中堅に位置する高校へ入学する。私も将来はプロ野球になれるかも!?などと考えながら意気揚々と入学しますが、今まで井の中の蛙でやってきた私は、全く通用する事無く程なく退部してしまいます。今まで野球しかしてこなかった私にとってこのことは大きな挫折となりました。野球以外にしたいこともなかった為、学校にもあまり出席しなくフラついていた私に対して、さらなる追い討ちとなる出来事がふりかかります。それは、同級生が甲子園出場を決めたのです。

高校球児憧れの舞台、甲子園に一緒に入部した同級生達が出場したのです。試合に出場しなくても一生懸命応援している同級生を見て、なんで辞めてしまったんだと非常に後悔をしました。その後しばらく高校野球はもちろんプロ野球ですら、観る事が嫌になった時期もありました。しかし、甲子園へ出場した仲間たちをみて、ただ劣等感を抱くだけでは何も意味がないと思い一念発起致しました。それからは学校へ行くのは当然ですが、まずは目の前の勉強に対して一生懸命に取り組むことにしました。具体的には学校の勉強以外に6時間以上の勉強時間を設けました。その結果、高校生では取得が難しいとされている日商簿記検定2級を2年生の段階で合格する事が出来ました。

今となっては、の話ですが、この諦めてしまったことへの後悔があったからこそ、その後の人生では何事にも諦めたくないという気持ちが強くなったのかなと感じています。もし、あの経験が無ければ今の私は無いと感じています。仕事を行う上では、知識やスキルが必要となるのは当然ですが、気合根性、体力も必要である為、その部分の基礎はこの経験が活きてきていると感じています。

前職での想い

前職については、医療・福祉に特化した大手給食委託会社に勤務していました。売上高3,000億超、社員数も5万人超という大企業に勤めておりました。

両親の仕事上、小さいころから医療・福祉に触れる事が多かった為、就職先は医療・福祉に携われる会社且つ、社会的に必要とされる大きな責任を担っている会社へ勤めたいと考えておりました。そんな思いから就職活動をしていく中で、食と医療という人が生きていくうえで必要不可欠な業務を行っている会社である前職に内定を頂き働き始めました。

入社当時は自分の想いを叶えられる会社に、入社することができ希望しかありませんでした。

当然ですが、現実はそんなに甘いものじゃありません。入社して3ヵ月は研修期間としてぬるま湯に浸かっていましたが、本配属になってからは毎日キツイ営業活動に合わせて、委託先の厨房で欠員が生じれば皿洗いでもなんでも現場に入り作業を行いヘトヘトになっていました。時には朝5時から現場に入り午前中の現場業務が終わってから、営業活動を実施し連勤をこなすという日々が待っていました。しかも営業活動から帰ると上司への本日の業務報告が待っている訳です。何か成果があれば良いですが無ければ真夜中までご指導を頂くこともザラで、描いていた高い理想とのギャップに苦しみ、低いモチベーションで業務をこなす日々が続きました。

そんななか、幼少期よく面倒を見てくれた祖父が亡くなったのです。祖父は亡くなる前、寝たきりの状態で食事もミキサーや刻んだ食事しか食べる事が出来ませんでした。そんな中、祖父が入居していた施設で祖父の好物である寿司を提供するイベントがありました。普通の食事は食べる事が出来ないにも関わらずその施設の職員の方々は、祖父が少しでも美味しく食べられるようにと工夫を凝らして下さり、祖父は久しぶりに楽しそうに食事をとる事が出来ました。今まで意識もはっきりせず、寝たきりであったにも関わらず一回の食事で意識を少し取り戻すようになり、健康状態が改善したのです。

その後、祖父は亡くなってしまいましたが、その施設の方々が本当に利用者一人ひとりに対して向き合い仕事をしていて、本当にプロ意識を持って仕事をされていることに気付きました。私自身、同じ医療・福祉の世界に身を投じているにも関わらず、毎日やらされ仕事をしていてプロ意識が無い事に気付かされました。

自分が行っている業務に対して改めて、誰の為にやっているのか?目的は何なのか?ただ求められていることだけをするのではなくお客様にとって本当に良いと感じてもらえるものは何なのか?を考え、自分の為だけでなく誰かの為になる仕事をしたい、という仕事観が明確になりました。 医療・福祉に携わる人間として、実際に契約をして下さる施設のお客様、またエンドユーザーである患者様・ご利用者に対して、何が本当に良い事なのか?を考えて仕事に邁進していきました。

その後は、それまでの自分本位な営業活動では無く、お客様に寄り添う形で営業活動を実施しました。自社のサービスを押し付けるのではなく本当にお客様が求めているサービスを提供すること、お客様自身も気付くことの出来ていない部分に対して価値を提供することが出来ました。その結果、営業成績も上向くと同時に社内の協力もあり全社でも上位の営業成績を残すことが出来ました。

独りでは仕事は出来ない

入社3年が経ったタイミングで、管理部門への異動を命じられました。
管理部門の業務は、営業部門がご契約を頂いた、お客様先約20件~30件の運営管理を行う業務です。病院・施設内の厨房をお借りして実際に食事提供する業務を担うわけですが、朝食提供から夕食の後片付けまで行う為、小さな規模の施設では5名ほど、大規模病院になれば100名以上の社員が配属されている病院まであります。その中で担当する社員数は約200名~300名程の運営管理を行っておりました。

お客様の多くは、病院長や事務長というキャリアのある方々ですが、現場社員の方は専門学校卒業したての社員から70歳以上の高齢の社員の方々に働いてもらっていました。私の人生でそんなにも幅広い年齢やキャリアの違う方々とは話す機会が無かったのはもちろんですが、一緒に仕事をしていく機会はありませんでした。

その中でお客様もそうですが、現場の社員の方々も新卒社員以外は、ほとんどが私より年上であり僅か25歳の社会人経験の乏しい私について来てくれる社員なんてほとんどいませんでした。そんな中、何とか仕事を回さないといけない、お客様のご要望を叶えなければならないという意識から、社員の方々に対して自分は上司なんだ!というふうにすごく偉そうに指示を出していました。何とか目の前の仕事を回すこと、見向きもされない自分の自尊心を保つためにそのような行動を取っていたのだと思います。

しかし、そのような仕事の仕方では誰もついてくるはずがありません。ある日、社員の方から話があると言われ事業所に訪問した際に、直接次の言葉言われました。「あんたのエリアだったら辞める。家から遠くてもあんたのエリア以外だったら会社に残る。」

まさか、自分のせいで働いてくれている社員の方々に対してここまでの不信感を抱かせているとは思っておらず。本当に悔しいことと情けなさに人前にも関わらず涙が出たのを覚えています。今まで営業マン時代も含めて仕事でキツイ・辛いタイミングは多くありましたが、涙が出るほどの悔しさ情けなさはこの経験以前は無かったです。

今更ながら自分ひとりでは仕事は出来ない事、周りの方々や社員の方々がいるからお客様・患者様へサービスが届けられていることを思い知りました。そこからは、謙虚な姿勢を心掛け社員への声掛けや思いやりを持った行動を心掛けること、また社員の方々が働けているのは、ご家族の協力があってこそだということも理解する共に感謝をして、社員の方と接するようにしました。

社員との関係性を再構築するため、片道2時間近くかかる事業所に朝5時に出勤し、1週間毎日面談を行いました。面談の時間が取れない社員とは、一緒に皿洗いや翌日の食事準備のために大量の野菜を切るなど、共に作業しながら会話の時間を確保するよう努めました。この経験を通じて、現場が最も重要であることを改めて実感しました。

面談では、何気ない会話の中から問題の本質を見極め、ハード面での問題か、人間関係が原因で仕組みが機能していないのかを常に考えました。特に、課題の本質を見つけ出すことに重点を置いていました。ハード面の問題は、設備の買い替えや変更によって解決できますが、人間関係が原因で組織が機能しない場合は、より困難です。大規模施設であれば、異動によって問題を解消することも可能ですが、多くの事業所ではそのような対応は難しいのが現状です。そのため、相互理解を深めるために当事者の間に立ち、対話を重ねることが重要であると学びました。

もちろん、すべての社員が話し合いで理解してくれるわけではないことも痛感しました。時には、仕事が非常に優秀であっても他のスタッフを退職に追い込んでしまう社員に対して、厳しい判断が必要な場面もありました。そのような判断は短期的には辛いものですが、長期的に見れば安定した運営に繋がることが明らかです。私自身もその覚悟を持ち、現場の社員にも同じ覚悟を促しながら、課題の改善に取り組んできました。

この経験から、本質的な改善にはスティーブン・R・コヴィーの著書「7つの習慣」で述べられているように、第二領域の業務に焦点を当て、果敢に取り組むことが大切であると学びました。また、昨今主流となっている1on1面談についても、方法を知らずとも同様のアプローチを行っていました。仕事を進める上では、プライベートにも多少関与する必要があり、社員が抱える悩みや困りごとにも配慮するよう努めていました。

その結果、離職率が高い業界であるにもかかわらず、私のエリアでは退職率を一桁に抑えることができました。会社全体としての施策もありましたが、多くの社員が長く働き続けてくれたことには、今でも感謝しています。また、その結果、顧客の契約解約率も全国平均が約10%である中、私のエリアでは5%以下という低い数値を達成しました。管理部門を担当していた約10年間で、解約となったお客様はわずか5件程度でした。これは、社員が提供したサービスがお客様から評価された証であり、感謝しています。

最終的に、良いサービスをお客様や患者様に提供するためには、社員がいてこそ成り立つものであり、彼らのモチベーションを維持することが非常に大切であると学びました。

仕事への葛藤

上記のように様々な事がありながらも、社内では同期や先輩よりも早く役職に就くなど、着実にステップアップしていきますが、仕事への葛藤が生まれます。365日・朝昼晩の食事を提供している為、私たちが提供する食事でしか食事を召し上がることのできない患者様、ご利用者もいます。私たちが食事を提供しているから生きていくことが出来る方もいます。このような仕事は社会的責任の大きな仕事でした。また場合によっては提供した食事がまさに最後の晩餐となるような食事を提供している使命感の強い仕事でもありました。そのような社会になくてはならない仕事をしている事に対して、やりがいや誇りを持って仕事をしていました。

しかし、世の中を取り巻く環境の変化や私自身が変わっていくなかで、本当の意味でお客様、患者様、社員の方々に対して良い価値を届けられていないので無いかと感じるようになりました。そのなかで、自分の経験から何を活かし、どのような価値を届けられるのかを深く考えるようになりました。

医療に携わる中で食事という側面から、人にとって口腔環境がいかに大切かを実感してきました。口腔環境を維持・改善することで、人がいきいきと生活できることを目の当たりにしてきました。健康面だけでなくメンタル面においても口腔環境が大きく影響することを体感しました。その経験を通じて、今後は歯科医療に関わり、患者様やお客様に新たな価値を提供していきたいと強く感じました。

経営戦略との出会い

そんな時、経営戦略研究所に出会いました。代表の岩渕が述べている無限の人に無限のきづきと無限の豊かさを与えるという言葉に衝撃を受けました。
私が求めていたのはコレだと確信しました。関わる全ての方「クライアントである院長、スタッフの方々、患者様、会社の仲間、そして自分自身と家族に至るまで」全世界の人々とはいきませんが、せめて自分自身に関わる方々に本当の意味で良い価値を届けること、気づきを与える仕事こそ私がしたかったことなのだと感じました。

更に当社には売り上げの目標が無い事にも驚きました。今までの社会人人生で売上や利益目標は必須であった為、売上・利益目標が無いという事が信じられませんでした。その変わりに存在する目標は、いかにクライアントに良い事が出来るかでした。クライアントに良い事というのも、ただクライアントの医業収入を上げられるかだけではなく、院長自身が人生をどうしていきたいのか?やその医院で働いているスタッフ・患者様にとって何が最善なのかを考えているのです。

本当の意味での豊かさを考えて提供することは簡単なことでは無いですが、もしそれが出来るのであればこれ以上の喜びは無いと確信し入社を決意致しました。

ひとりでも多くの方に豊かさや気付きを与えられコンサルタントを目指して地域一番医院へ向けて励んでまいります。