地域一番アドバイザー寺尾 陸

略歴

東京都府中市出身。
兵庫県神戸市出身。父の仕事の転勤で、北は北海道から南は香川県など様々な場所を転々として過ごす。北海道の高校を卒業後、大学時代は京都の立命館大学に進学。新卒では一部上場企業の工業用ガスメーカーの営業職に就職。厳しい労働環境の中入社2年目でガス溶接関連機器の売上金額の過去最高記録を更新。がむしゃらに仕事をやり抜き、顧客との「信頼関係構築」に注力する。最初は新人だからと見向きもしなかった顧客との信頼関係が築かれ、九州地区大規模展示会を任されるまでに成長。苦しみを乗り越えた先に待っている仕事の楽しさを実感する。
この営業経験を生かして「もっと多くの人々の生活を支える仕事に携わりたい」「さらに営業としての能力を伸ばしたい」という思いから、製薬会社へ転職。
これまでの2社で磨いた異なるスキルの営業力を生かして、さらにステップアップを目指して、世界9位の製薬メーカーであるアストラゼネカ株式会社へ転職を果たす。
入社と同時に新型コロナウイルスで緊急事態宣言が発令され、医療機関への訪問活動が完全に禁止となる。活動ができない中でどのように自社製品の価値を伝えられるか、仮説検証を元に試行錯誤した結果、九州地区で唯一、自社製品全施設採用を達成。コロナ禍の厳しい環境下でも成果を出すことができた喜びと同時に、自身の活動は本当に患者様の役に立てているのか分からなくなり思い悩む。
そんな中経営戦略研究所と出会い、これまで働いてきた環境ではありえないことばかりである「売上目標がない」「クライアントのことだけを考える」「クライアントから直接感謝される」といった当社にしかない理念や業務内容に強く惹かれ、入社を決意。

寺尾をより知って頂く為に

少年時代

私は兵庫県神戸市で生まれ、家族の仕事の関係で地方を転々としながら育ちました。
2歳の頃からは香川県高松市に住み、自然に囲まれた田舎で小学校卒業までの時期を過ごします。一人っ子ということもあり、のんびりとした性格でのびのびと育ちます。母からは素直で誠実であり続けることを大切にするように育てられました。

就職活動の失敗

京都の大学に進学し、3年生の秋に就職活動が始まります。当時の私は洋服が好きで、古着屋さんでアルバイト、街のお洒落な人に声をかけて写真を撮る「ストリートスナップ」などをやっていました。そういったことから単純に洋服に関わる仕事がしたいと考え、アパレル関連の商社やメーカーを中心に就職活動をしていました。

企業研究を重ね志望業界へチャレンジをしましたが、就職氷河期という事情もあってか100社ほど採用応募したにも関わらず、最も希望する業界からは1社も内定は頂けませんでした。その後志望順位の低い企業から内定は頂けましたが、結果として親族に紹介してもらった企業に就職することになりました。志望していた業界とは真逆と言ってもいいほど違う業界で全く興味を持つことができず、憂鬱な気分で社会人人生の幕開けを迎えることになります。

やらされ感覚の社会人生活

大学を卒業し、なんとか社会人になることができました。やりたかった仕事でもないし、与えられた仕事は精一杯頑張って休日を楽しむために働こうという、間違ったプラス思考で仕事に対するモチベーションを自ら下げるような考えをしていました。
半年間の現場研修が終わり、本配属は福岡県北九州市に赴任することになりました。配属先部署は規模が小さく、資料が山積みでデスクとパソコンを置くのが精一杯の事務所に、還暦近い上司と、事務の女性社員と私の3名のみでした。ここでもモチベーションは変わらず、与えられた仕事をこなす毎日でした。この部署では関連会社同士での取引が多く、お客さんが関連会社の方というケースが多くありました。そのため身内だから無理難題を押し付けても大丈夫だという風潮があり、常識的に考えて納入が間に合わない依頼を多く引き受けていました。

仕入元へ何度も交渉し、納期も短縮させて間に合わせる。間に合わせて感謝されることはなくとも、間に合わなかったら激しくクレームを頂戴する。といった自分の中で、頑張ったことが報われないことにストレスが溜まっていき、夜の高速道路の運転中に腹が立ちすぎて絶叫しながら泣いたこともあります。深夜まで働き、寝るために家に帰り、翌朝出社してクレーム対応。精神的にも肉体的にも限界が近づきます。「こんな仕事はもう投げ出してしまおうかな・・・」そう考えるようになっていました。そんな時、関係会社の担当者の意外な趣味を知ります。その時に私は深入りすると面倒だからという理由で関係会社の方たちの趣味嗜好などを何も知らないことに気が付きました。仕事だけでなく相手との距離感を詰められれば何か状況は変わるのではないか?そこから仕事に対する意識が変わりました。
これまで関係会社の取引先の方とは商談の際には仕事の話だけをしていましたが、打ち合わせの最後に勇気を振り絞って「〇〇さんは●●が趣味だと伺ったんですけど、私も興味あるので教えて頂けませんか?」と問いかけると、意外と趣味や好きなことを語ってもらえるのです。そこから少しずつ仕事以外の話を増やしていくように意識をしました。すると少しずつ変化が出始めます。

私の担当した仕事に対しては、「お前じゃ話にならないから上司に繋げ」と言われていたのが、「寺尾!見積もりの価格もう少し何とかしろ!」と無茶振りには変わりないのですが、私に直接言ってくるようになりました。この時クレームを言われているのに妙に嬉しいような複雑な気持ちになったことを覚えています。そこから私指名で任される仕事が増えていき、最終的には自分の会社でもないのに関連会社の毎月の経営会議に参加を求められるようになり、私の発表パートまで確保されるまでになりました。そういった場で私の自己開示をする機会が増えたことで、「最近の若い奴にしてはなかなかやるじゃないか」と認めてもらえることにも繋がりました。私も相手のことを知りませんでしたが、相手も私のことを知りませんでした。どちらかが歩み寄り相互理解を深めることで関係性を進めることが出来ることを学びました。

入社前と比べると社会人としての責任感も芽生え、目の前の仕事に対しては一生懸命取り組むようになりました。入社して約3年経ち、一通りの仕事ができるようになり、もっと自身のスキルを活かした企業で成長したいと考えるようになりました。
そうした中一歩を踏み出す際に出会ったのが「製薬会社のMR」でした。父が製薬会社で勤務していたことから親和性があったこと、医薬品を通じて世の中の人々の健康に貢献したいという思いで次のステージに選びました。退職交渉については切り出すのに勇気は必要でしたが、誠実に感謝と思いを伝え最終的には社内・親族も背中を押して頂けることとなりました。

現実と理想のギャップ

「なぜ伝わらないのだろう?」
MR(医薬情報担当者)は主に医師や薬剤師、医療機関に対して製品の情報を提供し、医薬品の正しい使用を促進する業務です。現場に出るためには人体の知識と疾患・薬事法・製品知識を網羅したMR認定試験に合格する必要があります。そのため1年間は仕事終わりにマクドナルドに直行して深夜まで毎日勉強し、休日もほとんど図書館にこもりっぱなしという生活を送りました。勉強の結果MR認定試験に合格し、晴れてMRとなり担当医院へお伺いできるようになりました。
しかし現場に出てみるとこれまでの学習は机上の空論であったことを思い知らされます

これまで勉強してきた知識をやっと先生に伝えられる!やるぞ!と意気込んで面談に臨むもあえなく撃沈。この製品がいかに素晴らしいかという情報提供を熱心にしても「今の治療で困ってないから」「製品のことは知ってるから」「そもそも薬価が高いから患者さんが嫌がるから無理」といくつもの断り文句を頂戴し、全く相手にされませんでした。

こんなに画期的で今までの薬と比べて良い製品なのに、なぜ興味を持ってもらえないんだろう・・・と思い悩む毎日。1人であれこれ考えていても仕方ない、先輩に聞いてみようと、自身の活動の現状を伝えました。すると先輩はこう言います。「今君がやっていることは、いきなり相手の家に行って欲しくもない商品を押し売りしているのと一緒だよ。相手の立場に立って考えてみたらどう思う?」「インターホン越しに間に合っているので大丈夫ですと断ります・・・」「そうだよね、ではどうしたら良くなると思う?」
相手の先生の考えや抱えている患者さんの状況など全く理解しようともせずに、やる気が空回りしてこちらの伝えたいことだけをひたすら伝えていたのです。これでは話も聞いてもらえないのは当然です。現状を打破するには今の型をまずは一度破壊して根本からやり方を変えるしかない。忙しい先輩に頼み込んで、深夜巡回の警備員さんに退館を促されるまで面談ロープレに付き合って頂き、ゼロから面談の方法を変えていきました。
具体的にどう変えたか?それは「徹底的に相手の話を聞くこと」です。極論、自分の話は全くしないくらいに振り切って変えました。製品を紹介することが営業の仕事なのに、自分の話をしなくて本当に大丈夫なのか?と不安になりましたが、思い切ってまずはやってみようと思いチャレンジしました。

「先生のところに通われている患者さんの話を聞かせて下さい」「先生が考える最適な〇〇病治療ってどういう治療ですか?」
まずは先生の考え・医院の患者さんの状況をひたすら聞く。これを意識しながら
「先生のお話を聞いていて、〇〇という可能性が考えられるんじゃないかと思うのですがいかがですか?」と仮説立てて質問を繰り返ししていくことで、相手が抱えている問題の本質に近づく事ができました。
不思議なことに最終的には先生の方から、「じゃあどうしたらこの問題を解決できるの?」と聞かれ、解決する方法としてその問題に合致した製品の特徴について話をする流れになっていくのです。

これまで製品の特徴について何度も説明した先生からも、「こんな特徴があるの知らなかったよ。もっと早く言ってよ」と言われ、心の中では(散々説明したんだけどな・・・)と思いながらも、「伝わるように伝える」ことの重要性に気づくことになりました。
ここから面白いように成果が出始め、担当エリアの自社製品シェアは急上昇、地域で一番大きい病院でも製品が採用となりました。
着実に成果を積み重ね自信がついてきた頃、もっと大きな舞台で勝負したいという思いから、転職にチャレンジし、世界でもトップクラスの製薬メーカーであるアストラゼネカへの転職が決まります。

コロナ禍での試練

この時期は、転職と同時に結婚、配属地である鹿児島への引っ越し、さらには新型コロナウイルスの緊急事態宣言発令中という環境の中でしたが、新たなステージを迎えることにワクワクしていました。気持ちとは裏腹に現実は厳しい状況でした。コロナ禍の医療機関にとって外部からの訪問は患者さんの家族ですら厳禁。ましてや外部業者であるMRなど敷地内に入ることも許されない施設もありました。また通常診療に加えてコロナ患者さん対応で先生方も多忙を極め、電話やメールをしても取り合ってもらえる所もありません。
製薬業界が等しく同じ状態に陥り、業界全体が麻痺しました。多くのMRは「どうしようもない・・・」と思考停止していたと思います。

「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」
私はこの状況を前向きに捉えていました。周りがストップしているこの状況はむしろ成果を出しやすいのではないか?他と同じことをしていても埋もれてしまい、先生方の目にも止まらないだろう。何か周りと違う、これまで以上のことをやってみよう。そう考えました。いろいろな方法でチャレンジを繰り返し、1つの成果につながったのは直筆の手紙でした。

大量に届くダイレクトメールの中に、1つだけ封筒も普通の封筒とは違う色、宛名も直筆、おまけに重要な書類と書かれている書類があったら気になりませんか?
もちろん1通や2通送ったくらいでは成果は出ません。どうせ他の活動ができないなら徹底的にやろうと、ボールペンの替芯を何本替えたか分からないくらい約200通ほどの手紙を書き終えた頃、見知らぬ番号から着信があります。それはとある基幹病院の薬剤部長からでした。思わず椅子から立ち上がりました。

「手紙を見ました。直筆の手紙をもらったのは初めてです。あなたの熱意に応えて、お会いしましょう。」
丁寧にお礼を伝え、直感で感じました。この1回のチャンスを失敗したら2度と会ってくれないだろう。
「段取り8割、仕事2割」

これは「仕事は段取り八分で決まる(仕事の前の段取りで、仕事の8割は終わっている)」と説いており、仕事における下準備の重要さを表しています。
今まで以上にできる限りの準備と想定問答を繰り返し万全の体勢で、面談に臨みます。
病院に入る時は口がカラカラに乾き心臓の音が聞こえるくらい緊張していましたが、準備が功を奏し、薬剤部長の疑問や懸念点にも全て対応でき、自社製品の採用について全面的に協力頂ける確約を得ることが出来ました。結果としてほとんど会わずして製品の病院採用にこぎつけることに成功しました。

成功するために確実な方法はありません。私が意識したのは「どれだけ人と違うことを今まで以上にできるか」に尽きます。
コロナ禍で状況が日々変わる中、大変な苦労をしましたがこの経験は私を大きく成長させてくれ、通常では対象施設に対して70%程度の採用率のところを九州地区のMRで唯一対象施設100%採用を達成することができました。

仕事へのジレンマと葛藤

仕事も家庭も順調で、現状の生活に満足はしていました。しかしずっと引っかかっていたことがありました。患者様にとってベストな状態は、「病気が完治して、医薬品を使わなくて良くなること」だと思っています。しかしながら担当先の先生から「寺尾さんの会社の製品を使って、患者さんの数値が良くなったから薬やめることができたよ!」と仰って頂くと嬉しい気持ちはもちろんありますが、複雑な感情になります。なぜ複雑な感情になるのか?理由は製薬会社のMRが会社から求められるのは売上実績が全てだからです。
その結果「病気が良くなった結果、うちの製品を使用してくれている患者さんが減った・・・実績のためにまた新たな患者さんに使ってもらわないといけないな」と、患者さんに貢献できているのに喜べない。このジレンマはMRでいる限りずっと続いていきます。このジレンマにずっと向き合っていけるだろうか。思い悩む日が続きます。

経営戦略研究所との出会い

そんな中、経営戦略研究所に出会います。当時は全く会社について知らなかったのですが、会社について調べていくと「売上目標がないこと」「クライアントのことだけを考える」「クライアントから直接感謝される」など、これまで働いてきた環境では全てがありえないことばかりで、実際に面談の際に、上記のようにホームページに書いてあったのですが、本当ですか?聞いてしまうほど当時の私からすると信じられないことでした。

この会社なら、これまでしたくてもできなかった目の前のお客様の人生の幸せだけを考えて仕事に取り組める。私が探していたのはこんな会社だ!そう決心しこれまでのキャリアと決別し入社を決意しました。
歯科医院経営において必殺技はありません。だからこそ強い気持ちを持って折れずに、目の前のやるべきことに対して地に足をつけて取り組んでいく。私自身失敗も多く、回り道もたくさんしてきた不器用な人間だと思います。ここまで辿り着くことができたのは、どんなに苦難が続いても折れることなく前向きな気持ちを持ち続けて目の前のことを一生懸命やってきたからこそだと考えています

ここまでお読み頂いた皆様は現状に満足していますか?
満足していないですよね。まずは皆様が「1年後、5年後、10年後どうなりたいか」理想とする医院を一緒に考えさせてください。人はイメージした理想を実現できる力を誰しもが持っています。成功するかしないかの違いは、成功するイメージをどれだけ具体的にできているかにあります。理想とするゴールに向かって着実に前進できるよう私がサポートします。人生をより豊かにするために、一緒に考え、行動を積み重ねていきましょう!